「泰山木」1965年3月号、岩国教会発行
プロフィール紹介:田口重彦牧師(当時下関西教会牧師)
(岩国教会牧師就任直前、健作さん31歳)
新任の岩井健作牧師 − その持ち味はこれからじっくり味わって頂くこととして、略歴の紹介と、田口重彦先生執筆のプロフィール紹介によって、一寸その横顔を覗かせて頂くことにする。(サイト記:略歴省略)
(以下、同志社学生寮・西中国教区で20代を一緒に過ごされた田口重彦牧師による紹介文)
武器ならば機関銃、大工道具ならばドリル、タクシーならば神風タクシー、いずれにしても精巧で回転の良い、西中国教区の三匹の侍のひとりである。
風貌は、小柄でやせ型、眼鏡の中から澄んだまなこがキラリと光る。一見神経質そうに見えるが、酒を飲ませてもOK。たいした御仁である。
31歳という年齢にものを言わせて、その牧会領域もなかなか広い。教団の婦人専門委員の一人として、婦人会は勿論のこと、壮年たちとの飲み合いにおいても彼の右に出る者は一寸見当たらない。酒が無くなるか、相手が先に参るかで勝負はいつもおあずけとなる。
だが何と言っても、彼の本領が最大限に発揮されるのは、青年たちと戦わす議論の場においてであろう。身を乗り出し、息つぐ間もなく問題の核心へと肉迫する態度は、教区宣教研究所委員の一人としての面目躍如たるものがあるが、敬遠したくなるのも又、無理からぬ事である。
神学生時代、神戸教会の実習生として、当時伝道師だった笠原芳光氏らと共に<現代>を学び、卒業してからは広島流川教会伝道師として<平和問題>に取り組み、呉山手教会に於いては<職域伝道>に情熱を傾けて来た氏の姿勢は、日本伝道の今後の課題をすっかり背負っていると言えるであろう。岩国というこの上ない場を足がかりに、東の助氏(岩国東教会牧師 杉原助)とコンビを組んで、さて何をやり出すのか、その期待は大きい。
欠点と言える程の欠点は見当たらないが、敢えて言うならば、春風の如きゆるやかさ、あいまいさが無い事であろうか、それが交わりの中の、沈黙の楽しみ、のんびりしたムードを奪って了うのが何といっても惜しいものである。しかし、心配するなかれ、世の中は本当に良く出来たもので、夫人のムードが、それを補って余りがある。
岩国教会の上に、又、岩井先生御一家の上に幸多かれ。
田口重彦(当時、下関西教会牧師、後に岩国東教会牧師)
引用「岩国を去るに際して」高倉徹(1965 岩国教会)
呉から岩国へ(1965 呉山手教会)



上から二段目、右から二人目が健作さん(学部3年)。その左上が田口重彦さん(学部1年)、最前列左端が野本真也さん(学部1年)。
