1957(昭和33)年3月26-28日、神戸教會 地の塩會 春季キャンプ
冊子全32頁、主題「生きる」聖書:ガラテヤ 2:20
兵庫教区キャンプ場
(同志社大学大学院学生、健作さん24歳、神戸教会に派遣神学生)
共感 – 生き續けて行く力 –
私たちの生きていく姿は案外宙ぶらりんなもののようです。優越感と劣等感の間を絶え間なく行ったり来たりしているであろうし、過去の必然性と、死によって閉ざされた未来の虚無性の眞中を走ってもいるでしょう。パスカルが「我々の本性は動きにある。全き休息は死である」という断章を残していますが、私たちの生が休息のない動きになることを的確に射止めています。この"動き"で表される人間構造の不安定さが、色々な形で日常的な体験の中に顔を出すことは誰しも認めることでしょう。曰く、"つかれ""重さ""つまらなさ""無意味さ""自己をもてあます"等。このように動いている生をどこかで止めて、安定した形で捉えようとすれば、それは生ならざるものへの転化でしか捉えられぬでしょう。"生きること"は「パンか神の言葉か」というすっきりした形で問いつめることが出来ないのです。とにかく"生きること"を問題にしようとする者は、つかれておろうと、重かろうと、自己をもてあましておろうとも、とにかく生き續けているという姿勢で問いを出すより仕方がないのです。
一体、この問いを出す元気はどこから出て来るのでしょうか。それは「実は、僕も重たさをたずさえているのだ」という人がいるからです。自分がこの人に出逢ったからといって、いささかも苦しみが取り去られるわけではないのだが、それに耐え得る力をもつ事が出来るからです。"生きる"という問いを眞に主体的に見つめようとする者は、相互主体的な形に於いてしか在り得ないのです。
共感というのは、感情的な一致というような事を表しているのではなくて、自らの主体性が他の主体性に於いて成っている事を表しています。人間は"口あけて腹わた見せる石榴(ざくろ)"の如く、他人にもたれかかりながら同時に他人をも支えて行くという共同存在の中で始めて生き得るのです。社会(Community)という言葉が”Communis”(互いに分かち合うこと)という人間存在の相互の関わり合いを表す語から出ている事を見ても、人間は相互依存的人間として、この社会の中で生き續けて行く時その眞の姿を捉える事が出来、"生きること"もこれ以外の場所で問題にすることは許されないのです。私たちが重荷を担いながらも相互依存的な人間として生き續けて行く事が出来るという事実の根源には、復活のイエスが私たちの無力さに共感(”sym pathein” 共に苦しむ)を持ち續けている(ヘブル書 4:5)という事実があることは云う迄もありません。この事実の中では、パウロの云うように、<死にかかっているようであるが、見よ、生きており>(コリントⅡ 6:9)という全く矛盾した二つの実感をもって生き得るのだと思います。
あとがき
編集を打ち切る夜明け前の新聞社のように雑然とした笠原先生の部屋で"あとがき"に手をつけ始めました。いささかほっとしています。多忙と、それに既に何回かこのような小冊子を作ってきたという慣れも手伝って、キャンプの始まる間ぎわ迄、仕事を追い込んでしまいました。
<交わり><人間><喜び>といくつかの主題を取り上げているうちに、主題そのものが<生きる>という動詞形になって、益々生き生きさせたものを感じます。教会に於けるお互いの”ミットレーベン”(共に生きること)の充実を思わざるを得ません。
表紙は前回と同じく木村量好(かずよし)氏の好意によるものです。スティグマ(差別、偏見)も生々しいイエスの生ける姿に大いなる力を感じます。短時日の間に原稿をお願いし書いて戴いた三好先生、多忙な中で原稿に推敲を重ねて下さった笠原先生、それに、原紙切りをして下さったNさんをはじめ、地の塩會の委員諸兄氏に心から感謝致します。
1957年3月25日 岩井記
(サイト記)1957年3月26−28日、兵庫教区キャンプ場で2泊3日の神戸教会 地の塩會の春季キャンプが開催。小冊子「生きる 1957」はあとがきに健作さんが書いているように、キャンプ前日に仕上がって参加者に配布された。参加者の中には神戸教会伝道師 笠原芳光さん、新伝道師 三好博さん、田口重彦さんのお名前がある。参加約40名。



