「荒れ野」の役割(2000 神戸聖隷福祉・礼拝)

2000.6.22、社会福祉法人 神戸聖隷事業団 創立25周年記念礼拝

(神戸教会牧師、神戸聖隷事業団理事 健作さん66歳)

 本日の式典の開会礼拝にあたり、聖書の言葉を皆様と、心して聴きたいと存じます。新約聖書のルカ福音書 15章4節、イエスの短い譬え話です。

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見出だすまで捜し回らないだろうか。」(新共同訳 ルカ 15:4)

 さて、私も牧師という仕事に携わっているので、悩む一人の人の魂の問題に関わりを余儀なくされることがあります。ある場合には、前後を忘れて、その悩みとの関わりに、心を注ぐという経験を持っています。この譬えの中の、羊飼いもそうだったのでしょう。一匹の羊をどこまでも追う、現場家畜飼育者の気持ちが、よく伝わってきます。

 NHKで日本でパンダを初めて飼育した、上野動物園の飼育係の方のことが放映されていました。付ききりでパンダとの心の出会いを作り出す、最初の夜も寝ないで世話をする様が感動的でした。
 福祉の仕事もそれと同じで、そのような、生きた出会いによって成り立っていることは、これに携わっている皆様が、何よりもご存じです。

 しかし、個々の出会いが、裸のままあるのではなく、世の中では、私の場合は「教会」とか「教団」という組織があって、牧師は存在します。組織は地上の団体ですから、運営維持に心を悩まさねばなりません。医者には病院の運営や医療のシステムの問題が付きまといます。教師には学校という組織があります。社会福祉には、巨大な福祉のシステムと機構があり、事業があります。羊飼いにも、羊の所有者との確執があったでありましょう。一匹と同時に九十九匹の群れのことにも配慮が必要です。

 もう一度、聖書を見てください。ここでは失われた一匹を見いだす喜びの事がまず第一義的に語られています。しかし、イエスは九十九匹を野原に残した、と物語を語ります。この「野原」と訳された言葉の原語は「砂漠の荒涼たる荒野」という意味です。ここに、この聖書の、もう一つのアクセントがあります。今日はそこに目を注ぎたいと思います。九十九匹も九十九匹なりに、一匹とは異なった意味で「荒野」に晒されているという事です。九十九匹も「いのち」のありようを問われているのです。

 社会福祉の「法人」や「団体」が、この世的な意味で、それ自体存在し続けることは、それだけで大変なことです。この世的に発展し、成功すればよいなどとは、今日お集まりの皆様は、よもや考えてはおられないでしょう。「法人」や「団体」なりに「使命」を果たすことが出来るかどうか、と悩みつつ苦労をしているに違いありません。一匹の存在と、九十九匹の存在が、共にありながら、相矛盾して、存在している事をお感じになっていると思います。個人と組織、細部と全体、魂と経済、現場と管理という課題を抱え込んでいることは、日常絶え間なく感じていることだと存じます。

 この事業体が組織として存続し、働きを続ける限り、この緊張関係は続きます。

 イエスが、失われた一匹と共にいることは厳然とした事実です。十字架の死に極まる生涯を生きられたかたです。この事実を、割引したり、建て前にしたり、単なるキリスト教精神にしては、ならないことも分かっています。

 神戸聖隷の事業の25年にあたり大切なことは、組織というものが、九十九匹の存在に似て「荒れ野」に置かれていることの認識です。この組織は「荒野」にあるのです。本質的に矛盾と緊張を抱え込んだ存在なのです。それを、神の計画のこととして受け取るかどうかが問題です。

 介護保険は、被介護者と介護者が対等だ、というのは建て前です。契約の概念が生きる場面が、全くないとは言えません。しかし一人は、あくまでも貴いが、また弱者です。組織と一人、九十九と一、の関係です。全体状況はこの関係にニュートラルではありません。

 九十九の側の意識からすれば、組織を経営し、運営するものの苦労は並大抵ではありません。法人を維持し、事業を進めることは、九十九匹として置かれた者の務めであり、役割です。私はこの事業に関わってそんなに歳月を経ていません。しかし、いつも組織が抱える「危機」を覚えています。それは、この種の事業では運営がよくいっていればこそ、九十九匹に象徴される事業主体を、神は絶えず「荒野」に導かれる事を、一層自覚しなければならない、という事です。聖書を自己正当化の言葉ではなく、自己相対化の視座に据え、絶えざる自己検証への鋭い語りかけとして読むことを「恵み」としていくことを怠ってはならないと思います。多くの社会福祉事業に先駆けてこのことを覚えるのが、聖隷の使命ではないでしょうか。

 聖書の民、イスラエル民族は、40年間の苦しい荒野の放浪によって、神が導きたもう歴史への自覚を深めました。イエスは荒れ野で40日間祈り、人間の力を頼みとさせる悪魔の誘惑と戦われました。

 聖隷の25年が、神の賜る「荒野」に一歩を踏み出す節目である事を、共に祈ります。

社会福祉法人  神戸聖隷福祉事業団

宗教法人 日本基督教団 神戸教会 石井幼稚園

宗教法人 日本基督教団 神戸教会 神戸教会いずみ幼稚園

(サイト記)このページの画像は全て、かつての健作園長が撮影したものです。

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