命と共生の道(2015 状況)

 (2015.1.19、81歳)

「さまざまな道に立ってながめよ。昔ながらに道に問いかけてみよ。……その道を歩み、魂に安らぎを得よ」エレミヤ書 6:13-17

 戦後70年、2015年、厳しい年が始まった。「安倍」はあえて手持ちの2年を放棄し、「経済と軍事力の国」への総仕上げのため、選挙で4年間を確保した。やりたい放題である。小選挙区制有効投票中48%の票で議員75%を獲得した。一方有権者の48%が棄権をした。戦後最多である。安倍に「NO」を言わなかった。

 この国は今、民主主義の危機にある。「富国強兵」を想起する。エレミヤも当時「皆、利をむさぼり」(6:13)とイスラエルの現状への鋭い批判を語る。今、私たちは「昔ながらの道」(6:16)に立って考えて見なければならない。

「『カネ優先』を見直すとき」(内田樹12/18 東京新聞)と識者たちも声を上げる。『生きるということ』(エ-リッヒ・フロム、佐野哲郎訳、紀伊国屋書店 1977)、『豊かさとは何か』(暉峻淑子 岩波新書 1989)など、経済優先への警鐘の古い論考が思い出される。それらの根底には聖書に一貫する価値観「金ではなく命」(マタイ4:4、ルカ12:15)がある。

 エレミヤの言う「昔ながらの道」は「出エジプト以来の、神の選び、導き、預言者の派遣(エリヤの闘い、列王上18など)」の道であり、新約聖書では、イエスの「十字架と復活」の出来事に基づく愛、隣人との共同性の構築の道である(エフェソ 4:25-32)。

「安倍」への対抗概念を使えば「いのちと共生の道」である。

 聖書は「その道」を軽んじる権力との闘いの「顔」(預言者たち)と、弱き者、疲れた者の「魂の安らぎ」(6:16)の避難所(詩編46、マタイ11:28)の「顔」との両面を備える。

 その根源に、イエスがいますことを証しする。

 その証しの延長線上に現代の教会はある。

 私は昨年『兵士である前に人間であれ-反基地・戦争責任・教会-』(ラキネット出版 2014)を上梓させていただいた。

「命と共生の道を歩む」小さな証しだと思っている。

国に剣を取らせてはならない(2015 状況)