飼い葉桶のイエス(2012 礼拝説教・ルカ・クリスマス)

2012.12.23、明治学院教会(298)降誕前 ① 待降節 ④ クリスマス礼拝

(単立明治学院教会牧師、健作さん79歳)

イザヤ 11:1-5、ルカ 2:1-7

初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカによる福音書 2:7、新共同訳)

1.「飼い葉桶のイエス」はクリスマス物語の象徴的な場面である。

 しかし、その背景には二つの文脈がある。まず、ルカ福音書の文脈。「ルカ福音書」の一つの特徴は、「貧富の格差」の問題に触れて、金持ちを戒め、貧しい者に救いを告げ知らせている。「貧しい人々は、幸いだ」(ルカ 6:20)、 「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(ルカ 18:25)などは一例である。イエスの誕生物語で「羊飼いの礼拝」が出てくるのはルカのみであるが、羊飼いが担う意味は何か。

「羊飼いは…身分と仕事のゆえに罪人のカテゴリーに入れられ差別をされていました」(太田道子『ことばは光(2)』p.137、新約学者)

「罪人」は律法遵守の視点からの断罪であるが、羊飼いが、託された羊を守るために血にかかわる争いをするとか、安息日に働くとか、は律法違反であった。同時に彼らは、重税、搾取のゆえに、ニ極化された貧富格差の底辺の貧しさに置かれていた。その羊飼いに「救い主」の誕生が最初に告知される(2:10)とは、救いに関しては「貧富逆転の逆説」(金持ちとラザロの物語 16: 19)を暗示する物語である。

 イエスは「宿屋(言語は“カタリュマタ”、居間を意味する語・団欒の象徴)」という社会通念としてのコミュニケーションの外に、誕生の場をもっている。「飼い葉桶」はそれを含意している。疎外され、差別され、抑圧され、貧しくされて生きざるを得ない者たちを象徴している。そして、そのような人間を疎外する力、宗教権力との闘いとして、イエスの生涯・振る舞いは描かれてゆく。

2.羊飼い、飼い葉桶

 他方、聖書全体からみると、羊飼いは「主(ヤハウェ)はわが牧者なり」(詩編23: 1)、「わたしは良い羊飼い」(ヨハネ10:11)とあるように、神、イエスそのもののイメージである。「牧師」「牧会」などと用いられるように、人間へのケア(Care)、魂の養いの働きの根源を象徴している。

「飼い葉桶」は家畜(牛、馬、羊)の餌箱であるが、養い育てるという命の働きのイメージを持つ。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」(マルコ2:17)。十字架上に生涯を終えて、病める者への癒し、慰め、和解、を成就したイエスのイメージそのものである。

3.闘いと和解、対決と対話

「闘いと和解」「対決と対話」。このニつは矛盾するようでイエスに於いては一つの出来事である。

 現代の最難問パレスチナ問題でこのテーマに取り組んでいる映画『沈黙を破る』土井敏邦監督(キリスト教婦人矯風会で上映)に心を打たれた。イスラエルのジェニン難民キャンプの破壊と殺裁を描く一方で、イスラエルの退役軍人・元将校たちが「沈黙を破る」というNGO運動を起こし周囲の敵意に身を曝して、戦場での罪を告白し、戦争犯罪の写真展を行う。そしてパレスチナ側との和解の働きを模索する。また、ハマスのロケット攻撃で娘を失ったイスラエルの親が報復の憎しみを増すのではなくパレスチナ人と対話をしようと積極的に和解と平和の糸口を探ってゆく場面がある。国家間の応酬の悲惨に市民が微かな光を灯している。自国の戦争勢力と闘い、遥かなる国境を越えた「人間の顔」を模索する者たちに希望を抱く。

「飼い葉桶のイエス」が象徴であるような生き方に導かれ、暗い闇の世に光を灯してゆきたい。

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