祈りと待望

どうか、天を裂いて降(くだ)ってください。御前に山々が揺れ動くように

イザヤ書 63章19節

イザヤ書 63章19節-64章4節

1、私たちは毎日曜日の礼拝で「主の祈り」を祈ります。これには深い意味があります。今の整った形は初代教会が整えたものです。イエス自身の祈りはもっと短く、ほとんど叫ぴに近いものであったと言われています。例えば「み国が来ますように」という祈りは、現実の世界の、不条理、不義の暗さの中での神への叫びでした。

2、叫びに近い祈りの伝統は、旧約聖書にあります。今日のイザヤ害63章19bの言葉はその例です。「どうか天を裂いて降ってください。御前の山々が揺れ動くように」。詩編には

主よ、天を傾けて降り、山々に触れ、これに煙を上げさせてください

詩編144編5節

とあります。この祈りは神への切なる求めです。

あなたを待つ者に計らってくださる方は、神よ、あなたのほかにはありません

イザヤ書 64章3節

こんな激しい祈りを捧げた時代とはどんな時代でしょうか。これには前史があります。

3、今から2500年ほど前、イスラエル民族のバビロニア捕囚期の末期です。パビロニアが滅び、ペルシャ帝国が勃興し、解放と祖国復帰の時が到来します。その時、民族を指導したのが「第二イザヤ」(イザヤ書 40-50章)と呼ばれている匿名の預言者です。復帰に伴って政治的独立運動が起きます。預言者は、それを支え、シェシュバツァルという人物を立てて、この人をイスラエルを救うメシヤ的王として密かに即位させます。このことはペルシャ帝国には到底承服し難いことで、彼は捕らえられ、責任を取らされ、苦しめられます。虐げられたけれども、遂に口を関かず、屠(ほふ)り場に引かれる小羊のように黙して、人々に代わって罪を負い、不法にも殺されます。帰還の民は、彼の犠牲によって、破滅を免れ、エルサレム周辺に定着します。

民衆の心に刻まれたこの指導者の姿は名を秘されたまま「苦難の僕の歌」(イザヤ書 49章以下)となって語り継がれます。民衆自身には彼を死に追いやった負い目が残りました。

4、それから少し後の時代です。老預言者ハガイが立てたユダの総督ゼルバベルがペルシャの官憲によって圧殺されます。民族は失意と挫折に陥ります。彼らは語り継がれてきた「苦難の僕の歌」を思い起こして、激しく神に救いを求める祈りを捧げます。これが、今朝のイザヤ書63章19bの祈りです。「第三イザヤ」(イザヤ書 56-66章)と言われる部分に残されています。

5、代々の教会は、この箇所を、待降節のテキストとして、読み続けて来ました。そして時代の巨大な闇を自覚してきました。今の時も、途方もなく濃く深く広い闇が、神の創造による人間の尊厳、命、繋がりを、足蹴にし、脅かし、抹殺してゆきます。我々はそれを自覚し、激しく祈らざるを得ません。「主よ、御国を来らせ給え」と。

君はこんな苦しい時が来たことを単に呟(つぶや)き不平を言ってはいけない。キリストの民であり、神の民である君に言う。君は自分を捧げなければならない。そして勝利を思わねばならない。困難な時にこそ、正しいもの、永遠なるものが準備されているのだということを思わねばならない。
(ブルームハルト)

闇に心を震わせる日々、それゆえにこそ主を待ち望みたい。激しい祈りを宿しながら。

於単立明治学院教会