語り続けるということ(2012 聖書の集い 40)

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第40回「新約聖書コリントの手紙とパウロ」①
使徒言行録18章1節-11節

序、しばらくパウロという初期キリスト教の重要人物の言葉から学ぶことにします。全体像は膨大なことになりますので、彼の書き残した手紙の「コリントの信徒への手紙(Ⅰ,Ⅱ)」を取り上げることにします。

1、パウロの素描をまずしておきます。ローマ帝国支配下のキリキヤ州のタルソで生粋のユダヤ人家庭に生まれます。律法の教育では、青年時代エルサレムで碩学ガマリエ ルの教育を受け、厳格な「律法」遵守のパリサイ派に属していました。名をサウロといいました。ナザレのイエスの弟子達の内で律法を無視するヘレニスト(ギリシャ化され た人)のキリスト教徒たちに敵意を抱き、ユダヤ教側の許可を得て熱心な迫害を行ないました。が、その途中ダマスコで「復活のイエス」に出会い改心を経験します。その後 は、パウロ(ギリシャ名)に名を改め初期キリスト教の「福音」の伝道者としてアンティオケを拠点に小アジアの都市をつないで3回旅行して、幾つかの教会を形成します。それらの教会の指導のため旅先から信徒宛の手紙を残しました。真筆の手紙が新約聖書には7つ(テサⅠ 、ロマ、コリントⅠ 、Ⅱ、ガラ、ピリ、フィレ)が残っています。64年頃ローマで殉教の死をとげます。パウロの手紙は彼が50歳半ば(紀元55-56)に書かれました。パウロの主治医の働きをしたルカが、ルカ福音書の続編として「使徒言 行録」 を残しています。しかし、これは2、30年後の文書であり、手紙と食い違うと ころがあります。「使徒言行録」について「使徒言行録は使徒後時代の説教及び神学に関 するすぐれた記録ではあるが、史的パウロの記録と言うわけにはいかない」(『パウロ』 ボルンカム)と言われています。
パウロの改心については、神理解が「律法」(自分の努力)から「福音」(無償の恵みの受容)へと変わったと言われています。神関係は、生涯一貫して変わらなかったという見方が一般的です。ユダヤ教からキリスト教への転換の断絶性(律法理解)と連続性(救済の歴史的一貫性)の問題でもあります。キリスト教がユダヤ教の正典(「律法・預言・諸書」) を旧約聖書(古い契約)と位置付けて取り込んで新約聖書(新しい契約)と合わせて正典とする事情があります。

2 、パウロは第二伝道旅行(使徒15:40-18:22) で、シラスを伴い、アンテオケを出発、小アジアを経てトロアスから、エーゲ海を渡り、マケドニアのフィリピ、 テサロニケ、アテネを経てコリントに至り、ここで約1年半留まり、エペソを通りアンテオケに帰ります。
コリントに伝道を始めたいきさつが使徒言行録の18章に記されています。今日はコ リントの手紙本文に入る前に、この箇所から、パウロの伝道の姿勢を学んでおきたいと思います。18章10節-11節です。 ルカはここで二つの重要な指摘をしています。第一は、神の「語り続けよ」という言葉の強調。第二はパウロの「ここにとどまって」という点。

3 、「語り続けよ」という根拠は「この町にはわたしの民が大勢いる」という言葉です。 伝道は、パウロの努力以前に、「私の民がいる」という「神の業」であるという点です。 それゆえに、伝道は「神の招き」であるという所にパウロのよって立つ根拠があります。 現代流に翻訳すれば、使命のあるところに道ありということでしょうか。使命への招きが大切です。YMCAなども使命がまずありきということが大切ではないでしょうか。

4 、「ここにとどまって」は口語訳では「ここに腰をすえて」と訳されています。「腰 をすえる」とは、いい言葉です。
「語り続けよ」と「腰をすえる」 は、神学的テーマでいうと、「招き」と「応答」になります。このふたつの緊張関係の中で、パウロのコリントでの働きは展開します。

参考書:佐竹明『使徒パウロ』 N H K ブックス404 1981 

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